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【チェコ・プラハ】旧市街広場・天文時計・カレル橋|百塔の都を歩く旅【後編】

【前編】⇩

プラハ旧市街散策の最後にやって来たのは、この街の中心ともいえる旧市街広場。

周囲を歴史ある建物に囲まれた広場は、まさに「百塔の都」を象徴する場所で、多くの観光客が足を止めてその美しい景観を眺めていた。

 

聖ミクラーシュ教会

広場の北側に建つ聖ミクラーシュ教会。

緑色の大きなドームと優雅な尖塔が印象的な、ボヘミアン・バロック建築の最高傑作とも称される教会である。

内部には、聖ミクラーシュの生涯を描いた壮麗なフレスコ画が広がり、18世紀製の巨大なパイプオルガンも見どころの一つ。

このオルガンは、モーツァルトがプラハ滞在中に演奏したという逸話でも知られている。

現在も毎日のようにクラシックコンサートが開催されており、美しい音色を求めて多くの人が訪れる。

  • 見学可能時間:月曜日~土曜日:10:00 ~ 16:00、日曜日:12:00 ~ 16:00
  • 18:00から毎日コンサートが開催される。料金:500CZK~700CZK*1。チケットは当日14:00頃から、旧市街広場に面した教会のメインエントランス前で販売される。
  • 教会の入場料金:無料

広場には、チェコ宗教改革の象徴であり国民的英雄でもあるヤン・フス記念碑も建ち、教会とともに広場のシンボルとなっている。

旧市庁舎

そして、プラハ観光最大の見どころの一つが旧市庁舎。

どの方向から眺めても絵になる、本当に美しい建物だった。

高さ約70メートルの塔には展望回廊があり、オレンジ色の屋根がどこまでも続く旧市街や、プラハ城、そして無数の尖塔が織りなす「百塔の都」の景色を一望できる。

……と紹介したいところだが、この日は残念ながら展望台へ登ることができなかった。

実は毎正時になると、塔の最上階では中世の衣装をまとったトランペット奏者が東西南北の窓から順番に現れ、広場へ向かってファンファーレを響かせるという。

次にプラハを訪れる機会があれば、今度こそ展望台から街並みを眺めてみたい。

  • 営業時間:4月~12月:9:00~20:00 1~3月:10:00 ~19:00
  • 定休日:なし
  • 入場料金(展望台):350CZK*2
  • チケット:天文時計のすぐ右側にある「THE TOWER」の看板、または旧市庁舎の建物内にある観光案内所で購入可能。プラハ市観光局(Prague City Tourism)の公式オンラインショップ等で日時指定の電子チケットを事前購入できる。チケット窓口は非常に混雑するので、事前購入がオススメ。
聖母マリアの礼拝堂

塔の右側に張り出した美しい尖塔付きの窓。

その内部には聖母マリア礼拝堂が設けられている。

ステンドグラスから柔らかな光が差し込む幻想的な空間で、外壁にはプラハやチェコを守護する聖人像が並ぶ。

さらに都市の紋章や、中世のギルド*3の紋章なども刻まれており、建物そのものがプラハの歴史を物語っているようだった。

プラハの天文時計

旧市庁舎南側の壁に取り付けられたプラハの天文時計(オルロイ)。

600年以上にわたり時を刻み続ける、プラハを代表する歴史遺産である。

世界中から観光客が集まる理由は、その美しい装飾だけではない。

この時計は、天文学・宗教・暦という三つの要素を組み合わせた、世界でも類を見ない精巧な時計なのだ。

上部には仕掛け人形が現れる二つの小窓。

毎正時になると窓が開き、キリストの十二使徒が次々と姿を見せる。

最後には黄金の雄鶏が羽ばたき、高らかに鳴いて仕掛けが締めくくられる。

その瞬間を見ようと、広場には毎時間たくさんの人が集まっていた。

中央の文字盤(プラネタリウム)

中央の大きな文字盤は「プラネタリウム」。

中世の天動説をもとに設計され、太陽や月、黄道十二宮の動きだけでなく、

旧ボヘミア時間
バビロニア時間
中央ヨーロッパ時間

という三種類の時間を同時に示している。

15世紀にこれほど複雑な機械が作られていたことに驚かされる。

下部の文字盤(カレンダリウム)

19世紀、チェコの画家ヨゼフ・マーネスによって描かれたもので、365日分の聖人の名前が刻まれている。

文字盤は一年をかけてゆっくりと回転し、一日につき一目盛りずつ時を刻んでいく。

この時計には悲しい伝説が残されている。

天才時計職人ハヌシュは、それまで存在していた時計を改良し、世界に誇る美しい天文時計へと完成させた。

その評判はヨーロッパ中へ広まり、「ぜひ私たちの街にも同じ時計を作ってほしい」という依頼が相次いだという。

しかし、プラハ市の有力者たちは、

「この時計はプラハだけの宝であるべきだ。」

と考え、ハヌシュが二度と同じ時計を造れないよう、彼の両目を焼き、視力を奪ってしまったというのである。

絶望したハヌシュは、死の直前、弟子に導かれて時計の心臓部を破壊した。

その結果、時計は100年以上も動かなくなり、誰ひとり修理することができなかった――。

もちろん史実ではなく伝説とされているが、この逸話からも、天文時計がいかにプラハ市民にとって特別な存在だったかが伝わってくる。

旧市庁舎入り口のファサード

天文時計の右側には、美しいレンガ色のファサードが続いている。

壁面には、

「PRAGA CAPUT REGNI(プラハは王国の首都である)」

という誇らしいラテン語の言葉が刻まれている。

 

周囲には都市の紋章や各ギルドの紋章が並び、中世から続くプラハの繁栄を今に伝えていた。

ゴルツ・キンスキー宮殿(Palác Kinských)

旧市街広場の東側に建つ、淡いピンク色の優雅な建物がゴルツ・キンスキー宮殿。

プラハを代表するロココ建築のひとつで、現在はチェコ国立美術館の分館として利用されている。

その華やかな外観とは対照的に、この宮殿はチェコ近代史の重要な舞台でもある。

1948年、チェコスロバキア共産党の指導者クレメント・ゴットワルトは、この宮殿のバルコニーから演説を行い、共産政権の誕生を宣言した。

美しい建築にも、激動の歴史が刻まれているのがプラハの魅力だ。

一分間ハウス(Dům U Minuty)

旧市庁舎のすぐ隣で目を引くのが一分間ハウス。

壁一面を覆う繊細な装飾は、「スグラッフィート」と呼ばれるルネサンス時代の技法によるものだ。

黒い漆喰の上に白い漆喰を塗り、その表面を削ることで下地を浮かび上がらせ、美しい文様や人物を描いている。

近づいて見ると、その緻密さに思わず見入ってしまう。

「一分間ハウス」という少し変わった名前にも諸説ある。

かつてタバコや薬を扱う店があり、「ちょっと一分だけ立ち寄る店」だったという説や、オランダ語の「ミニチュア」が語源になったという説など、由来は今もはっきりしていないそうだ。

モルダウ川に架かるカレル橋とプラハ城

旧市街を抜け、ヴルタヴァ川へ。

目の前に広がった景色は、私にとってプラハで一番好きな風景だった。

悠々と流れるヴルタヴァ川。
その向こうに堂々とそびえるプラハ城。
そして両者を結ぶ中世の名橋、カレル橋。

「ここが私のアナザースカイ」

そう思えるほど心に残る景色だった。

川沿いのベンチに腰を下ろし、イヤホンを耳に差し込む。

流れてきたのは、スメタナの交響詩**『我が祖国』**。

その中でも特に有名な「ヴルタヴァ(モルダウ)」である。

学生時代から、

「モルダウ川を眺めながら『モルダウ』を聴いてみたい」

そんな小さな夢を抱いていた。

今回、その夢をようやく叶えることができた。

音楽と景色が一つになった、忘れられない時間だった。

 

スメタナ博物館

カレル橋のたもとに建つ、美しい新ルネサンス様式の建物。
現在はスメタナ博物館として公開されている。
もともとはプラハ水道局として建てられた建物で、外壁にはプラハ防衛戦を描いた壮大なモノクロ壁画が描かれていた。

カレル橋の旧市街側塔

いよいよプラハのシンボル、カレル橋へ。

橋の入口にそびえるゴシック様式の橋塔は、中世ボヘミア王国の権威を象徴する壮麗な建築だ。

中世ボヘミア王国の権威を象徴する彫刻群

正面には三体の像が並ぶ。

左には橋の建設を命じた神聖ローマ皇帝カール4世。
中央にはプラハの守護聖人聖ヴィート。
そして右には、後に王位を継ぐヴァーツラフ4世。

さらに、黒い双頭の鷲は神聖ローマ帝国を、銀色の二本尾ライオンはボヘミア王国を象徴している。

この橋塔は単なる門ではなく、王国の威厳を示す記念碑でもあった。

橋塔のアーチに描かれたフレスコ画

橋塔のアーチをくぐる人は多いが、天井まで見上げる人は意外と少ない。
そこには、丸い輪の中に描かれた小さなカワセミの姿がある。
これはヴァーツラフ4世が愛した幸運のシンボルで、「魂」や「永遠」「守護」を意味するとされている。
さらにヴォールトの四隅には、当時の浴場で働いていた湯女の姿も描かれている。

これは、幽閉されていたヴァーツラフ4世が湯女の助けを借りてヴルタヴァ川を渡り、脱出したという伝説に由来しているそうだ。

カレル橋の定礎記念プレート

橋塔の足元には、ひっそりと1357年と刻まれたプレートが埋め込まれている。

実はこの『1357年』は、ただの建築年ではなく、皇帝が仕掛けた深すぎる意味が込められていた。

カレル橋の建設を命じた神聖ローマ皇帝カール4世は、星占いや数秘術(数字の持つ神秘的な力)を強く信じていた。彼は、水害で何度も壊れてしまう橋の代わりに、「絶対に崩れない不滅の橋」を作ろうと考え、当時の天文学者や数学者を集めて「最も縁起の良い着工日時」を計算させた。

導き出された奇跡のタイミングが、『1357年 7月 9日 5時 31分』

この日時をヨーロッパの古い数記法(年・日・月・時・分)の順に入れ替えると、「1・3・5・7・9・7・5・3・1」という、前から読んでも後ろから読んでも同じになる回文数となり、皇帝はこの数字の並びが、橋を永遠に守る強力な魔除けになると確信した。

皇帝は、1357年7月9日午前5時31分、自らの手でカレル橋の最初の定礎石を設置し工事が始まったそうだ。

それから約700年。

数々の戦乱や洪水を乗り越えながら、カレル橋は今なおプラハの街を結び続けている。

その強さの秘密は、この「奇跡の数字」にあるのかもしれない。

カレル橋

ヴルタヴァ川に架かるカレル橋は、プラハ屈指の人気観光地。
昼間になると身動きが取れないほど混雑するが、私が訪れたのは朝8時過ぎ。
まだ人影もまばらで、朝日に照らされた石畳と橋塔が美しく輝いていた。
静かな時間の流れるカレル橋は、昼間とはまったく違う表情を見せてくれる。
早起きして訪れた甲斐があった。

聖ベルナールとマリアの彫刻像

橋の上には30体もの聖人像が並び、まるで屋外美術館のような雰囲気だ。

十字架に張り付けられたキリストの像(聖十字架)

その中でも印象的だったのが、十字架に架けられたキリスト像。
よく見ると、十字架の上部には金色に輝くヘブライ文字が飾られている。

「なぜキリスト教の十字架にユダヤ教のヘブライ語が?」

疑問に思って調べてみると、そこには複雑な歴史があった。
1696年、一人のユダヤ人がこの十字架の前でキリスト教を侮辱したとして罰せられ、その罰金を用いて金色のヘブライ文字が設置されたという。
刻まれているのは、

「聖なる、聖なる、聖なるかな、万軍の主よ」

という旧約聖書の一節。
ユダヤ人から徴収した罰金で、ユダヤ人の言語を使ってキリストを讃える装飾を施したというこの逸話は、当時の宗教対立の深さを今に伝えている。

聖サヴァドール教会

カレル橋のすぐ目の前に建つバロック様式のこの建物は、クレメンティヌム(旧イエズス会学校)の教会。
バルコニーや屋根には、キリストや聖使徒、イエズス会の聖人たちの石像がずらりと並んでいる。
その荘厳な姿は、カレル橋の美しい景観を締めくくるにふさわしい存在だった。

 

プラハを歩いていると、音楽、建築、芸術、そしてユダヤ文化まで、さまざまな歴史が一つの街の中で見事に調和していることを実感する。
「百塔の都」と称される美しい街並みはもちろん魅力的だ。
しかし、それ以上に心を惹かれたのは、その風景の一つひとつに刻まれた長い歴史だった。
幾度もの戦乱や時代の変化を乗り越えながら受け継がれてきた文化が、この街には今も息づいている。

プラハは、ただ美しいだけではない。

歩けば歩くほど、その奥深い魅力に引き込まれていく――そんな特別な街だった。

*1:日本円で3,300 ~4,600円

*2:2,300円 ~ 2,500円

*3:職人組合

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