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【パリ】サン・ドニ大聖堂地下墓所へ|マリー・アントワネットとフランス王家の眠る場所【中編】

この記事は前編⇩からの続きです。

地上の壮麗な大聖堂を見学した後、いよいよフランス王家の墓所が眠る地下墓所(ネクロポリス)へ向かいます。

 

大聖堂への入場自体は無料ですが、歴代国王や王妃たちが埋葬されている地下墓所の見学には別途チケット11EUR*1が必要です。

 

石造りの階段を下りると、まず目に入るのは歴代修道院長や首席司祭たちの名前を刻んだ記念碑でした。

もちろん、その中には12世紀に大聖堂再建を指揮し、ゴシック建築を誕生させた修道院長シュジェールの名前もあります。

彼が思い描いた「光の聖堂」は、900年近く経った今もなお人々を魅了し続けています。

 

その先には、しんと静まり返った地下通路が続いていました。

観光客の話し声さえ吸い込まれてしまうような静寂。

まるで歴史そのものが眠っているかのような空気に包まれています。

王家の「心臓の部屋」

金色の十字架と王家の紋章に守られた地下区画。

鉄格子の向こうには、かつてヴェルサイユ宮殿で絶大な権力と栄華を誇ったブルボン家の人々が静かに眠っています。

フランス革命によって墓は暴かれ、遺体は投げ捨てられました。

その後、王政復古の時代に遺骨の捜索と再埋葬が行われ、長い放浪の末に再びこの場所へ戻ってきたのです。

ここは絶対王政の終焉と再生を象徴する場所でもあります。

心臓の壺

奥に見える白い石棚の上に小さな金属製の容器が整然と並んでいます。

これは「心臓の壺」と呼ばれるもの。

フランス王家には、遺体・心臓・内臓を別々に埋葬する伝統がありました。

そのため王族たちの心臓は別の教会や修道院で保管されていましたが、革命後に回収され、最終的にサン・ドニへ集められました。

今もなお、遺体とは別のこの場所で静かに安置されています。

悲劇の王太子ルイ17世の心臓

特に有名なのが、ルイ16世とマリー・アントワネットの息子である王太子ルイ17世の心臓です。

 

革命によって両親を失った彼は、パリのタンプル塔に幽閉されました。

わずか10歳で病死したその人生は、フランス革命最大の悲劇の一つともいわれています。

彼の死後、解剖を担当した医師が密かに心臓を持ち出し、「王家への忠誠の証」として保存しました。

その後200年以上にわたり本物かどうか論争が続きましたが、2000年にマリー・アントワネットの毛髪から採取したDNAとの照合が行われ、王太子の心臓であることが科学的に証明されました。

そして2004年。

死後209年という長い年月を経て、ようやく両親の元へ帰ることが出来たのです。

アンリ4世とルイ18世

地下墓所にはブルボン朝初代国王アンリ4世の記念碑もあります。

宗教戦争で荒廃したフランスを再建した名君として、現在でも高い人気を誇る国王です。

余談ですが、現代フランスでも「アンリ」という名前は非常に親しまれています。

 

一方、ルイ18世の胸像も展示されています。

彼は処刑されたルイ16世の弟であり、革命によって亡命生活を送りました。

しかしナポレオン失脚後の1814年に帰国し、王政復古によって王位に就きます。

そして1824年に崩御し、サン・ドニに正式に埋葬された最後のフランス国王となりました。

アンリ4世から始まったブルボン朝の歴史は、このルイ18世によって幕を閉じることになります。

ブルボン家、主要王族が眠る場所

そして、ついに地下墓所で最も重要な場所へ到着しました。

黒大理石の墓石が並ぶ静かな空間。

ここにルイ16世、マリー・アントワネット、ルイ18世らブルボン家の主要王族が眠っています。

ルイ16世、18世の墓

兄:ルイ16世の墓            弟:ルイ18世の墓

革命と王政復古という激動の時代を象徴する二人の王が並んで眠っています。

マリー・アントワネットの墓

そして、マリー・アントワネット。

オーストリア皇女として生まれ、フランス王妃としてヴェルサイユ宮殿で華やかな人生を送りながらも、革命の渦に飲み込まれ断頭台で処刑された女性。

処刑後は共同墓地に粗末に埋葬され、その後長い年月を経てようやくこの場所へ移されました。

目の前にあるのは質素な黒い墓石に過ぎません。

しかし、その下にフランス史上最も有名な王妃が眠っていると思うと、言葉にならない感情が込み上げてきました。

教科書や映画でしか知らなかった人物が、確かにこの場所に眠っている。

その歴史の重みに、しばらく立ち尽くしてしまいました。

フランス王国の始まり

地下墓所の最深部には、さらに古い時代の遺構が残されています。

そこは5世紀から8世紀にかけてのメロヴィング朝時代の墓地です。

王妃クロティルドをはじめ、サン・ドニへの信仰を抱いた人々の石棺が今も保存されています。

壁面には新約聖書ヨハネによる福音書の言葉が刻まれていました。

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの実を結ぶべし。」

死と再生。

そして、この場所からフランス王国の歴史が始まったことを象徴しているかのようです。

 

さらに、何気なく置かれていた石の基礎にも驚かされました。

調べてみると、カール大帝の父ピピン3世が戴冠したカロリング朝時代の聖堂跡であり、現在の大聖堂より約400年も古い建造物の遺構だったのです。

サン・ドニの墓所

地下墓所の中心にある大聖堂の中で最も古く重要な中央礼拝堂。

3世紀に殉教したパリ初代司教サン・ドニの墓所です。

歴代フランス国王たちがこの地への埋葬を望んだ理由も、すべてはこの聖人の近くで永遠の眠りにつきたいという信仰心からでした。

こここそが、フランス王家の歴史の原点なのです。

地上へ

地下墓所の出口を守る重厚な鉄格子をくぐり、再び地上へ戻ります。

そこには金色のキリスト像と鋭いスパイクが取り付けられ、王家の墓と聖遺物を守ろうとした人々の強い意志を感じさせました。

 

長い歴史と数え切れない人々の運命が眠る地下空間。

その重みに圧倒されながら外へ出ると、ようやく肩の力が抜けました。

壮大な歴史の余韻に浸る姿を記念に撮ってもらいました。

現実世界へ戻った瞬間です。

今回のパリ旅行は父娘二人旅・・・。撮影者は娘です(笑)

 

サン・ドニ大聖堂編は、内容が濃いため三部構成でお届けしています。

次回はいよいよ最終回。

地上部分に残る王家の壮麗な記念墓や、美しいゴシック建築の細部を改めて巡りながら、サン・ドニ大聖堂の魅力を締めくくります。

*1:訪問時1,760円

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