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念願の端島(軍艦島)へ ― ついに上陸【高島海上交通】後編

前編⇩

 

徐々に、海の向こうに端島の姿が見えてきた。

軍艦島

船は上陸前に、まず島の周囲をゆっくり一周してくれる。

なるほど――。

確かに遠目に見ると、巨大な軍艦そのものだ。

高層アパート群が艦橋のようにそびえ立ち、護岸が船体のシルエットを形作っている。「軍艦島」という呼び名が定着した理由が、一目で分かった。

幹部職員だけが暮らせた「3号棟」

丘の上に建つ立派な建物は、幹部職員用社宅「3号棟」。

昭和34年に建設された、当時としては最先端の高級アパートだった。

島民の多くが共同浴場・共同トイレを利用していた時代に、この3号棟には各部屋ごとに専用の内風呂と水洗トイレが完備されていたというから驚く。

さらに、一般鉱員の住居が「6畳一間」だったのに対し、こちらは3DK。

その待遇差は一目瞭然だった。

ここに住むことを許されたのは、三菱の幹部職員とその家族のみ。

端島という小さな島の中にも、明確な階級社会が存在していたことがうかがえる。

端島小中学校(70号棟)

端島小中学校は、1〜4階が小学校、5〜6階が中学校として使われていた。

最盛期には島内人口が5,000人を超え、世界屈指の人口密度を誇っていた端島。そのため学校も巨大化していったのだろう。

廃墟となった今でも、その規模から当時の活気が伝わってくる。

 

島の周囲を一周するため、場所によっては完全な逆光になる。

しかし逆に言えば、時間と角度によって順光で綺麗に撮影できるポイントもあるということ。

軍艦島クルーズは、上陸だけでなく「海上から眺める時間」も大きな魅力だと気づかされた。

高層鉱員社宅アパート群

島内に密集して建てられた巨大な高層アパート群。

ここには、過酷な炭鉱労働を支えた一般鉱員と、その家族たちが暮らしていた。

限られた島の面積の中で人口を収容するため、端島では日本でも早い時代から高層鉄筋コンクリート住宅が建設された。

まさに“海上都市”である。

奇跡的に残った「端島神社」と鉱員寮

  • 丘の上に小さく見える屋根付きの建物は「端島神社」

    社殿のほとんどは崩落してしまったが、この祠だけが奇跡的に残っているという。

  • その左側に見える巨大な建物は「報国寮(65号棟)」

    約300世帯が暮らした、島内最大規模のアパートだ。

    中庭には遊園地、屋上には「端島幼稚園」まで存在し、まるでひとつの街のようだったという。

  • 手前の縦格子状の建物は「啓明寮(66号棟)」。

    全国から集まった若い独身炭鉱労働者たちが暮らした独身寮で、彼らはここで寝食を共にしながら、24時間交代の過酷な労働に従事していた。

  • さらに右側、斜めに並ぶのが59〜61号棟。

    ここは外海に面したエリアで、台風時には10メートルを超える大波が護岸を越えて襲いかかってきたという。

    そのため建物は護岸に対して直角に配置され、海側の壁には窓が一切設けられていない。

    晴れた日でも波しぶきが激しく降り注いでいたことから、この辺りの通りは「潮降り街」と呼ばれていたそうだ。

公民館・映画館跡

左下の低い建物は公民館。

そして右側の瓦礫となっている場所には、かつて映画館や寺院が建っていた。

炭鉱の島というと過酷な労働環境ばかりが注目されがちだが、ここには確かに人々の日常生活や娯楽が存在していたのだ。

31号棟と貯水タンク

横長に伸びる「31号棟」の奥には、大きな貯水タンクが見える。

淡水資源の乏しい孤島において、水は極めて重要なライフラインだった。

ついに上陸へ

そして、いよいよ桟橋が近づいてきた。

軍艦島上陸ツアーは、波の状況次第では上陸中止になることも珍しくない。

予約後からホームページや体験談で、

「接岸できるかは運次第」

と散々見てきたので、内心かなりヒヤヒヤしていた。

 

しかしこの日は波も比較的穏やかで、無事に船は接岸。

ついに――軍艦島へ上陸した。

 

上陸後は複数の班に分かれ、ガイドさんの案内で見学が始まる。

現在立ち入りできるのは、島の西端にある限られたエリアのみだ。

「命の階段」

その中でも、ガイドさんが最も熱を込めて説明していたのが「第二竪坑口桟橋への階段」だった。

炭鉱夫たちは、赤レンガ造りの総合事務所で安全点呼を受けた後、この階段を上がり、桟橋から昇降ケージへ乗り込む。

そして地下600〜1000メートルにも及ぶ海底炭鉱へ降りていった。

階段には、炭にまみれて帰還した鉱員たちの足跡が、今も生々しく残されている。

しかし当然、この階段に二度と戻れなかった人々も大勢いた。

「どうか無事に帰れますように」

そんな願いを込め、鉱員たちはこの場所を「命の階段」と呼んでいたそうだ。

炭鉱から戻った彼らは、総合事務所内の共同浴場で真っ黒になった身体を洗い流し、ようやく“今日も生きて帰れた”ことを実感していたという。

日本最古のRC造高層アパート「30号棟」

ツアー終点となる「第3見学広場」から見えるのが、有名な「30号棟」

1916年(大正5年)に建設された、日本初の鉄筋コンクリート造高層アパートである。

だが、長年にわたって潮風と台風に晒され続けた建物は、今も少しずつ崩壊が進んでいる。

「訪れるたびに形が変わっている」と言われるのも納得だった。

 

島の西端に位置するこの場所には、かつてプールもあったそうだ。

地下トンネル

桟橋から上陸した人々は、かつてこの地下トンネルを通って30号棟方面へ向かっていたという。

現在は安全上の理由から金網で封鎖されているが、その暗い入口を見ていると、端島が生きていた時代の人々の気配をどこか感じるようだった。

あとがき

今回の長崎旅行は、「軍艦島に行ってみたい」という、ずっと抱いていた憧れから始まった旅だった。

正直なところ、予約が取れなかった時点で半分諦めていたし、「まぁ長崎観光だけでも十分楽しめるだろう」と思っていた。

だからこそ、出発直前にキャンセル枠を見つけた瞬間の嬉しさは、本当に忘れられない。

実際に端島へ上陸して感じたのは、ここが単なる“廃墟スポット”ではないということだった。

崩れかけたコンクリートの建物群の奥には、確かに人々の生活があり、笑い声があり、学校があり、映画館があり、そして命がけで働く炭鉱労働者たちの日常が存在していた。

特に「命の階段」の話は強く印象に残っている。

今では静まり返った島だが、かつてここには24時間止まることなく動き続ける巨大な“海上都市”があったのだと思うと、不思議な感覚になる。

そしてもう一つ感じたのは、端島は「遠くから眺める島」ではなく、実際に現地へ行って初めて空気感が伝わる場所だということ。

潮風、波音、崩れた建物の圧迫感、海に囲まれた閉塞感――。

写真や映像だけでは分からない“生々しさ”が、そこにはあった。

今回訪れてみて、なぜ多くの人が軍艦島に惹かれるのか、少し分かった気がする。

もし長崎へ行く機会があるなら、ぜひ実際に上陸して、自分の目でこの島を見てほしい。

きっと、ただの廃墟とは違う何かを感じられるはずだ。

 

2025年10月13日 訪問

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