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見るのが辛かった、それでも拍手を送りたい ─ 映画『終点のあの子』と當真あみの透明な凄み

この記事は、映画『終点のあの子』の感想・考察です。


柚木麻子さんの原作短編「フォーゲットミー、ノットブルー」を題材に、當真あみが演じた希代子の姿を中心に、本作が描いた女子高生の残酷なリアルや、原作タイトルが持つ二重の意味について考えました。
映画は公開したばかりですので、未鑑賞の方はご注意ください。

 

 

柚木麻子さんの原作「終点のあの子」は、4部作の短編で構成されている。

第1編「フォーゲットミー、ノットブルー」は 希代子の視点。

第2編「甘夏」奈津子の視点。

第3編「ふたりでいるのに無言で読書」は恭子と早智子の視点。

第4編「オイスターベイビー」は4年後、美大生となった朱里の視点。

 

監督によると映画「終点のあの子」はこの第1編「フォーゲットミー、ノットブルー」を題材に希代子の視点で制作したとのことだ。

私はまずこの原作のタイトルが持つ意味について疑問がわいた。

と言うのも、

①"forget me,not blue" は「私を忘れてよ,青じゃないわ」となり、

②"forget me not,blue" だと「勿忘草(わすれなぐさ)の青」になる。

ちなみに勿忘草の花言葉は「私を忘れないで」なので

センテンスを切る位置によって意味が正反対に変わってしまう。

 

勿忘草(わすれなぐさ)英名 forget-me-not

 

原作タイトルは①の表記なので、私はそのような捉え方をしていた。

劇中でも、朱里(中島セナ)がラストシーンで「忘れてよ!私のことなんか」と言っていた。しかし、朱里のイメージカラーはどう考えても青なので「青じゃないわ」は矛盾するけど。

もしかしたら朱里は青から脱却したいと考えていたのだろうか。

 

次に劇中のキーアイテムである絵の具の名前は②の「勿忘草の青」である。ironodata.info

また、テアトル新宿は、映画公開初日と2日目に舞台挨拶を行うなど今作に対し、かなり熱の入ったプロモーションをしているが、その劇場で販売するオリジナルドリンクが青い「勿忘草ソーダ

うーん、①か②か。正解はどっちなのだ。

いや、どっちもか(笑)

 

さて、肝心の當真あみ演じる希代子。

この映画はどうも最初から當真あみありきで考えられていたようだ。

監督が希代子役は當真あみしかないと。

彼女のいい意味での「普通」っぽさ。

それでいて透明感に溢れ、何色にも染まることが出来る。

まさに打ってつけのキャスティングだったのだろう。

 

しかし見終わった私は微妙なモヤモヤが残った。

女子高生特有の、

  • 独りが怖くて絶えずどこかのグループに属していたい。
  • 連む相手を自分の都合でコロコロ変えてしまうようなズルさ。
  • イジメへ同調加担してしまう弱さ。
  • 自分が攻撃されないよう長いものに巻かれる自己保身。
  • 道を外れる事への憧れと恐怖。

それらの描写が、この映画の中でリアルであればあるほど、いちファンとしては推しのそんな姿は見たくないという感情があった。

見ていてたまらなく辛かった。

役の幅を広げていくと言う意味では、こういう役にチャレンジすることも必要なのだから、演じるのは当然だし、女優としての成長はうれしい。

そして彼女は希代子を完璧に演じ切った。

 

希代子は、感情を言葉にしない少女だ。

主役であるのに希代子のセリフは驚くほど少ない。

したがってセリフにない部分は表情で演じなくてはいけない。

文化祭でのダンス中に、朱里が乱入し希代子が堪らず逃げ出すシーンの演技は圧巻だった。

朱里に向ける表情、目の動き。

セリフが全くなく、荒い息遣いと表情で演じたこのシーンは、鬼気迫るものがあった。

 

そして、クラスで朱里についての話し合い(劇中では裁判と言っていた)の日、希代子は自分が吊し上げられてしまうことが怖くて、学校へ行く電車に乗らずに江ノ島行きの急行に乗ってしまう。

この砂浜でのカメラ長回しからの希代子の涙も素晴らしかった。

ここがまさにクライマックスだと思ったし、見ている方に色んな感情を持たせる涙で、最高なシーンだったのだけれど、ここで希代子が発する超大事なひと言が小さすぎてよく聞き取れない!

これは演出の大失敗だと思う、本当に残念。

TVと違って映画は巻き戻せないので確認しようが無く、やり場の無いモヤモヤが残った。

 

そして、この映画はこの場面で余韻を残しつつ終わった方が良かったと思う。

この後に続く3年後の後日談は何を訴えたかったのか意味不明だし、一気に後味が悪くなった。

希代子が朱里の大学へ会いに行くそもそもの動機は、瑠璃子(深川麻衣)に頼まれたからで、自分の意思では無かった。

しかし実際に会ってみて、謝りたい、分かり合いたいとの感情が芽生えた希代子の言葉を朱里はあっさり拒絶(おいおい)。

高校時代の出来事を大学生にもなって引きずってる朱里も大概だし、会いに来た相手に今さら何しに来た?もないよねぇ。

そもそも父親が有名人だということで自分も周りとは違うんだという勘違い。

みんな同じ格好して型にはまって毎日マジメに学校行っちゃってダサいねぇ。私は自由よw と言うなら、そもそも私立女子校なんか行かずに家で絵でも描いてる方がよっぽど格好いいと思う。

 

奈津子(平澤宏々路)の唐突すぎるカミングアウトも謎。

「マリーアントワネットカフェの発案は希代子なんだよ」と朱里に告げ口したのは私で、それをずっと後悔していたというのだけど、そんなの奈津子が言わなくても分かるよね?

「一緒にいたかっただけなんだよ」

希代子が奈津子から離れてしまって寂しかったのは誰でも分かるし、3年後にわざわざ涙ながらに説明させる内容かと。

 

そして最も訳が分からないのは、ラストの妄想?ダンスシーンだよね。

あそこは単純にファンタジーだと捉えれば良いのか?

ホントに最後の3年後はやらない方が良かったと思う。

 

正直、映画としてモヤモヤする部分は多かった。
それでも、希代子という少女の弱さとズルさを、ここまで生々しく成立させた當真あみの演技には、心から拍手を送りたい。


「忘れてよ」なのか、「忘れないで」なのか。
その答えが曖昧なまま残るところも含めて、『終点のあの子』という作品なのだと思う。

 

2026年1月23日 鑑賞

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